「べき」の呪縛
長い間、自分を束縛して苦しくしていた、とある思考の傾向に気づきました。
それは…「べき」の傾向。
・上司は人格者で、部下にも優しく指導する「べき」。
・良い職場は人間関係が良くある「べき」。
などなど。
そもそも上司、というか人にはいろんなタイプがいて、優しく諭す人もいれば、叱咤する人も、「見て覚えろ」という人も、様々いますよね。
それを「べき」で、しかもその美徳感覚を真面目に持っちゃってるあたりが、そもそも間違いだろうと。
職場だって、人間関係がドライでも、好きな人だけじゃなく嫌いな人がいても、あり得る話ですよね。
それを「人間関係良くしなきゃ」と頑張るだけ無駄だとやっと、この四十代半ばで気づきました。
それからというもの、すごく仕事が楽になりましたね。
嫌いなら嫌ってくれて結構だよって。
こんな束縛があるから、自分の「べき」を与えられないと(例えば上司の指導が優しくないなど)、「自分が悪いんだな」と自己嫌悪しちゃう。
いや、悪くないし。
上司がそういうタイプなだけだし。
完全に自分がコントロールできないものに、自分が左右されちゃってますよね。
だからやめました。
自分で自分に、ご褒美をあげて認めて、好きになってあげようと思います。
などなど。