漫画や本ばっかり読んでます
最近はハマっているゲームアプリもなく、かと言って趣味もないので(早く趣味を持ちたい)、アプリで漫画よんどり、リアル書籍で小説読んだりしています。
あと、朝ドラの「なつぞら」は欠かさず観てます。
録画して。
そんな毎日が、平和だな、とか少し幸せだな、と思えるくらい、毎日が落ち着いてきたこの頃。
よかったなぁ。
記録するのをやめよう
タイトルの記録は、写真とか日記とか、一般的なものではなく、ライフログ的な「行き過ぎた」記録を指します。
僕はライフログを取ってましたし、今もウォーキングにはランニングアプリで、読書はWebサービスで、記録したりしています。
でも、それは何のために?
自分が「がんばった」「すごいね」と褒めてもらいたいから?
つまり他人の物差しで測ってもらっても大丈夫なように?
そうなんです。
自分で自分を褒めることができないので、認めてあげることができないので、ライフログを取っていました。
今日からウォーキングや読書含め、全ての「不毛な」記録を取る事はやめます。
自分で自分を、しっかり向き合って、褒めて、叱咤していきたいと思います。
磨く。丁寧に。
かなり心が動いた、いい文章でした。
すると、登壇者の方は次のように言葉を続けた。
「自分の体を使って世の中を知り、見て、感じ、考えること。それが、誰もが平等に持っている、『自分にしかできないこと』です」
確かに、僕も「自分にしかできないことを!」と言われたら、自分のスキルを挙げて、「全然ないなぁ」と落ち込むだけだろうと思います。
僕も自分の感性を丁寧に見つめる方法を探してみよう。
自分の人生をより丁寧な生きられるように。
自己肯定感って上がらないのよね
これ、面白かったです。
自己肯定感が低くても、自分のことが嫌いでも幸福にはなれる(けんすうさん)
https://kensuu.com/n/n66bee01eac1f
僕も自己肯定感っていうのをできれば上げたいし、上げる努力もしてみたんですけど、どうしても上がりませんでした。
ただ、このけんすうさんのnoteを読んで、
「あー、自己肯定感がなくても、自分を嫌いでも、幸せって感じることはできるよね」と納得した感じです。
(納得したつもりになるのが僕の悪いクセなので、繰り返し読もうとは思いますが)
実際、自己肯定感って上げるのムズイです。
そんなに上手くいくことなんてないですし、かえって下がることの方が多いですね。
「何のために自己肯定感上げようとかしてるんだっけ?」と本末転倒になることもしばしば。
それよりなら、ちゃんと本質を突くことに専念しようと思ったコラムでした。
浅い読書もそれはそれ
昔から本が好きで、ジャンルを問わずよく読んでました。
昨年辺りから読書記録をつけ始めたのですが、家人の友人が僕の読書記録を見て「こんな速さで本が読めるはずがない。ちゃんと読んでいるのか」と余計なお節介を焼くので、読書記録は止めました。
ただ、本はやっぱり読んでいます。
万年資金難の僕はもっぱら図書館から本を借りるのですが、最近、阿部智里さんの『弥栄の烏』を読んで、気付いたことがあります。
それは「僕は細部まで読んでいないこと」です。
「ストーリーの奇抜さ」「登場人物のキャラクターやセリフ」「驚くような展開や発見」以外は、あまりよく覚えていません。
情景描写や、もしかしたら組み込まれている伏線も、見逃しています。
例えば、上橋菜穂子さんの守り人シリーズには、たくさんの美味しそうな料理が登場しますし、料理本まで出版されています。ですが、僕はキノコ鍋くらいしか覚えていません。
(あったよね?(笑))
なぜか?
先が気になるんです。
ストーリーがどうなっていくのか。
キャラクターはどうなってしまうのか。
そればかりに目が釘付けになって、他はもう、二の次なんです。
それに気づいた今回の読書でした。
これは「良い」「悪い」ではなく、僕がそういう読み方をする、というだけの話です。
だから「このままでもいいかな」と思ってます。
もっとも、先が分かっていないと不安、という神経質なところから来るものなので、ちょっと治したいなぁ。