さいせんたんにっき

『今の自分』は、自分史上最先端なのだと信じよう

考え過ぎは良くない

かしゆか(@akyska)さんのこのnoteに、すごく共感しました。

note.mu

 

僕は幼い頃から考え過ぎるタイプで、いつも対処策を3〜4くらい持ってないと不安になる(ちょっと危ない)タイプでした。

 

でも現実は、想像していたよりもアッサリ終わり、また次の杞憂に終わる心配を始める、みたいなことを繰り返してきた気がします。

 

すべてはよくなる

困った事は起きない

 

この二つの言葉を、最近は呪文のように唱えながら生きてます。

 

漫画や本ばっかり読んでます

最近はハマっているゲームアプリもなく、かと言って趣味もないので(早く趣味を持ちたい)、アプリで漫画よんどり、リアル書籍で小説読んだりしています。

 


あと、朝ドラの「なつぞら」は欠かさず観てます。

録画して。

 


そんな毎日が、平和だな、とか少し幸せだな、と思えるくらい、毎日が落ち着いてきたこの頃。

 


よかったなぁ。

記録するのをやめよう

タイトルの記録は、写真とか日記とか、一般的なものではなく、ライフログ的な「行き過ぎた」記録を指します。

 

僕はライフログを取ってましたし、今もウォーキングにはランニングアプリで、読書はWebサービスで、記録したりしています。

 

でも、それは何のために?

自分が「がんばった」「すごいね」と褒めてもらいたいから?

つまり他人の物差しで測ってもらっても大丈夫なように?

 

そうなんです。

自分で自分を褒めることができないので、認めてあげることができないので、ライフログを取っていました。

 

今日からウォーキングや読書含め、全ての「不毛な」記録を取る事はやめます。

 

自分で自分を、しっかり向き合って、褒めて、叱咤していきたいと思います。

やっぱりスマホ

週末に、最近買ったタブレットのセットアップをしてました。

iosys.co.jp

 

手持ちのノートパソコンがもう15歳近いので、代替わりで買ったこのWindowsタブレット

薄いし、重くはないし、すごくいいんですが…。

結局、すぐに手元に寄せてしまうのは、手軽なiPhone

そりゃそうですよね、究極的に手軽ですもんね。(この記事もiPhoneで書いています)

 

今回のタブレットは、次に「パソコンを使う必要があるとき」まで、出番が無さそうです。

 

ノートパソコンのヘビーユーザーだっただけに、時代を感じます。

磨く。丁寧に。

かなり心が動いた、いい文章でした。

www.e-aidem.com

 

すると、登壇者の方は次のように言葉を続けた。

「自分の体を使って世の中を知り、見て、感じ、考えること。それが、誰もが平等に持っている、『自分にしかできないこと』です」

 

確かに、僕も「自分にしかできないことを!」と言われたら、自分のスキルを挙げて、「全然ないなぁ」と落ち込むだけだろうと思います。

 

僕も自分の感性を丁寧に見つめる方法を探してみよう。

自分の人生をより丁寧な生きられるように。

自己肯定感って上がらないのよね

これ、面白かったです。

 

自己肯定感が低くても、自分のことが嫌いでも幸福にはなれる(けんすうさん)

https://kensuu.com/n/n66bee01eac1f

 

僕も自己肯定感っていうのをできれば上げたいし、上げる努力もしてみたんですけど、どうしても上がりませんでした。

 

ただ、このけんすうさんのnoteを読んで、

「あー、自己肯定感がなくても、自分を嫌いでも、幸せって感じることはできるよね」と納得した感じです。

(納得したつもりになるのが僕の悪いクセなので、繰り返し読もうとは思いますが)

 

実際、自己肯定感って上げるのムズイです。

そんなに上手くいくことなんてないですし、かえって下がることの方が多いですね。

「何のために自己肯定感上げようとかしてるんだっけ?」と本末転倒になることもしばしば。

 

それよりなら、ちゃんと本質を突くことに専念しようと思ったコラムでした。

浅い読書もそれはそれ

昔から本が好きで、ジャンルを問わずよく読んでました。

 


昨年辺りから読書記録をつけ始めたのですが、家人の友人が僕の読書記録を見て「こんな速さで本が読めるはずがない。ちゃんと読んでいるのか」と余計なお節介を焼くので、読書記録は止めました。

 


ただ、本はやっぱり読んでいます。

万年資金難の僕はもっぱら図書館から本を借りるのですが、最近、阿部智里さんの『弥栄の烏』を読んで、気付いたことがあります。

弥栄の烏 (文春文庫)

弥栄の烏 (文春文庫)

 


それは「僕は細部まで読んでいないこと」です。

「ストーリーの奇抜さ」「登場人物のキャラクターやセリフ」「驚くような展開や発見」以外は、あまりよく覚えていません。

情景描写や、もしかしたら組み込まれている伏線も、見逃しています。

 


例えば、上橋菜穂子さんの守り人シリーズには、たくさんの美味しそうな料理が登場しますし、料理本まで出版されています。ですが、僕はキノコ鍋くらいしか覚えていません。

(あったよね?(笑))

 


なぜか?

先が気になるんです。

ストーリーがどうなっていくのか。

キャラクターはどうなってしまうのか。

そればかりに目が釘付けになって、他はもう、二の次なんです。

 


それに気づいた今回の読書でした。

 


これは「良い」「悪い」ではなく、僕がそういう読み方をする、というだけの話です。

 


だから「このままでもいいかな」と思ってます。

もっとも、先が分かっていないと不安、という神経質なところから来るものなので、ちょっと治したいなぁ。